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夢と感動、そしてやすらぎのある人生。私たちはお葬式の新しいスタンダードになります。

人生50年、100年前はこのくらいが平均寿命でした。栄養状態が良くなった、医療が発達した、いろんな要因でいまは80、90はあたりまえ。100歳越えも珍しくはありません。逆に若くして亡くなるかたも確かにいらっしゃいます。人が100人いれば100通りの人生なのだから、人と自分を比較するのは無意味なことだと思う。それを踏まえたうえでおもうこと。 先日、遠縁のお葬式に参列しました。ずっと元気だったのに1月に肝臓に腫瘍が見つかった。様子をみていたが、3月に入院してひと月あまりの闘病で亡くなった、そうです。数えで91歳でした。あたしは同じ市内に住んでるとはいえお会いしたのは数回、挨拶程度でちゃんとお話したことは一度もありませんでした。子供3人、お孫さん3人、ひ孫さん3人、喪主はご主人。岩見沢に生まれて豪農に嫁ぎ、離農してからは悠々自適に趣味を楽しむ生活。長男さんは50代で亡くなってしまいましたが、この土地にうまれこの土地でご家族に見守られて90の寿命を全うした。お通夜には100人くらいいらっしゃったでしょうか。子供や孫の職場関係もあったでしょうが、お友達やご近所とおぼしきかたもたくさんみえていました。 会場できいたある親戚のおかあさまのはなし。元々躁うつ病で治療していて、ご主人が亡くなったあとに増悪して、いまはせん妄状態がひどく病院の独居室で薬物治療をしている。薬の効果があまりないので転院して脳の電気ショック治療をうけるかもしれない、とのこと。80代で身体的には重い病気を抱えているわけではありませんが、生活の質はとても低い。いつまでこの状態が続くかもわからない。一人娘であるあたしの義理の従姉は毎日病院に見舞って、わけのわからないことを叫ぶ母をみなければならない。受験生の息子もいる。家業の仕事もおろそかにはできない。おかあさまもお気の毒ですが彼女も崖っぷちな精神状態かもしれない。それでも笑顔を絶やさない強いひとです。 人が幸福か幸福じゃないか、の尺度はその人それぞれに違うので、他人が判断をすることではありません。 大事なのは日々の暮らしを丁寧に生きて、この世を離れるときに「やり残したことはない幸せな人生だった」と最終的に感じられることなのかな、とおもいます。 明日なにが起こるか誰にも予測できません。 あたしだっていつ事故にあうか、いつヘリが家に落ちてくるか(自衛隊のヘリがよく上空を飛んでくので)、いつ心臓が突然ストップするか、いつ予想だにしない出来事に遭遇するか、わかんないわけです。 普段「死」に目をそむけて生活していますが、参列していて、自分だったら何人くらい来てくれるんだろう?とかどんなふうに送られるんだろう、とか自然と考えてしまう。 そして、強くおもうのは、おとむらいの儀式の意味は尊い、ということです。いままでの経験からそうは感じていましたが、やはり。人は「こんなひとでした。こうして生きてきました。おつかれさまでした。」とその人に関係したゆかりのひとたちに認知してもらっておくられるべきです。それはその人自身のためというより、残されるひとたちのためです。 その人の死を納得して前を向くためにはなんらかの儀式が必要です。 いまお葬式もどんどん簡略化されてごく身内だけですますとか、直葬といって病院から焼き場へ行って終わり、ということも多くなっていますが、それはあまりにもさびしく不親切と感じます。金銭的だとか他のなんらかの理由があるのかもしれませんが・・・あたしは嫌です。 この先なにが起こるかわからない。そろそろ終活の準備をしたほうがいいかもしれない。よりよくこの先生きていくために、どうしたら良いのかな、そんなことをおもった遠縁のお葬式でした。  


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あとお葬式の時に乾物が添えられてるのなんでだろうって口走ったら、「あれはね~~~~???」
って含みのある返答をいただいたので「あぁ~~~~京都人~~~~!!!!!!!!!」ってなってました
今からお葬式の準備しなきゃいけないんだけど
ストレスで凄いことになってる親友が頑張って授業に参加してて、帰るまでに倒れたり恐怖で泣いたりしないか心配だし
もえちゃんもすごい体調悪そうで倒れないか心配で中々準備が出来ない…
 2018/04/21 08:53 chocolapin_Rina
全くその通りだと思います。
野盗6倒のおばちゃん達は、同じ野盗議員のお葬式の帰りかと思ってしまいました。 https://t.co/tYRUNIKB04

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