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前述の通り、当時私は母と確執があり、上手くいってなかった。
それはお互いに芯から憎みあってるとかじゃなく、どうにもすれ違ってしまうとか母から傷つけられて来たとか、合わないという感じで。
母との長年の確執からの和解についてはこちらに書いてます。

今はもうそんな悲惨な関係も終わりを告げ、和解できたわけだけど、まだ当時は母の言動に振り回され私は母を嫌悪していた。
だから普段自分のことは頼むとか頼るとか甘えることはなかったけれど、入院中、娘を母宅に泊まらせて欲しいと頼んだ。
それをアッサリ断られ私は更に母への失望感が増したわけで。
娘にごめんね、ひとりで大丈夫?と謝ってなんとか頑張ってと頼んだ。
娘はその時高1の夏休みだった。小さな子供じゃないにしろ、女の子ひとりにするのは心配だった。
脳腫瘍の病気もあり、更に次は子宮頸がんと次々に病気になる母に対して、母子家庭の娘にとっては不安や心配があったと思う。
ひとりでそんな気持ちで過ごすより、おばあちゃんおじいちゃんのそばに居た方がいいに決まってる。
そんな事も母は推し量ってもくれないんだと、なんて人なんだと入院前に失望感でいっぱいだった。

孫を預かってくれないなんて。手のかかる幼児でもないのに。母の思考回路はどうなってるんだ。
闘病記などを読ませてもらっても、家族の愛に支えられてる人達がたくさん。
そんな家族でない自分の家族が悲しくて虚しかった。
冷たい風が胸の奥に吹きすさんでいた。

そんな時に、父親に頼もうと思った。父親ともずっと疎遠で、確執みたいなものがあり、母と同様頼るとか甘えるとかしてこなかったけれど
娘のことを思えばそんな父親にこの時ばかりは頼もうと電話をした。
父親は遠く離れた場所にいるから電話を娘にして欲しいと頼んだ。
私の病気、入院、手術のこと、その間娘はひとりで家にいるから一回でもいいから電話してあげてくれないかと。

父はしてくれた。後から娘に聞いたらおじいちゃんから電話あったと。

父は娘が生まれた時に会いに来てくれなかった。それ以降も私の旦那のお葬式の時に会っただけ。
それ以降全く私とも娘とも会ってない。

そんな父親だけど、その時は一回だけ娘に電話を入れてくれた。

それだけはありがたかった。
気持ちが有る無しに関わらず、とにかく電話1本してくれた。

もちろん私も術後携帯出来る状態になり次第娘に電話をした。

そんな入院中のことがあり、私は一刻も早く退院したかった。娘を1日でもひとりにしておきたくなくて。

幸い円錐切除手術は長く入院してなくてもいいみたいで、手術の4日後に退院となった。

脳下垂体腺腫の術後は鼻の穴の奥に穴を開けての切除で、かなり術後は辛すぎたけど、子宮頸がんの円錐切除手術は脳下垂体に比べたら軽いものだった。

頭痛はかなり酷かったし術後のめまいはやはりいつも通りあったしそれなりにはしんどかったけど脳下垂体に比べたら軽いものだ。

頭痛とめまいが治れば手術を本当にしたの?ってくらいの感じというか身体に傷も外見的にはないし、円錐切除した部分が痛いとかもそうなかったように思う。
四泊五日の入院が終わって帰宅した。
続く

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お葬式ネタはコントの鉄板だし地獄ネタは落語の感じある
靴だけで踊る「踊り続ける赤い靴」。母想いの少女が、亡くなった母に買ってもらったそれを大事にしていたけども、お葬式なんかにも履いてしまって糾弾される…それでも靴を履き続け、やがて踊り続ける呪いにかかり、死ぬまで許されなかった…そんなお話よ。キリスト教的には良いお話しらしいの。
@CDP2017 @kambara7 どなたのお葬式かな?

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