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これは2006年頃頼まれてGREEにUPしその後mixiでもUP昨年Facebookで編集し直して再々UPしたものです。アメブロにも加筆転記しておきます。数年経って書いたものなので、記憶も少しすり替わっていることと思います。もしどこか間違いがあったらご指摘ください。よろしくお願いします。
どんと本名 久富隆司(くどみたかし)ハワイ時間の2000年1月27日ハワイ島で天国へ旅立つ。37歳。
2000年2月初め。どんとの訃報を聞いて頭が空っぽになった。胸にぽっかり穴があくっていう表現がぴったりの、身体の一部が無くなってしまったような感覚。京都新聞のおくやみ欄に告別式の日程と場所と喪主が掲載されてるのを発見した。当時はまだネットなんて便利なものは一般的では無かった。
告別式は2月4日、どんとの生家、岐阜県大垣市の久富米店近くのお寺で行われました。お香典を渡して記帳しようと見ると書かれてる住所は、北海道、新潟、宮城、石川、大阪、福岡、、、日本中から来てる。私の住んでる京都なんて近い方だった。
11時頃に到着して、どんとのうたが流れる中、1時まで境内で立ったまま待機。岐阜は内陸部だからめっちゃ底冷えすることは知ってたのに、大垣は小雪がちらちらしてたのに、カイロ貼るとかショックからか思いつかず、本当に寒かった。でも、寒さで下半身の感覚が麻痺してしまった時、どんとが空からクルクルと舞い降りてきて抱きしめてくれ、頭を撫でてくれたので温まりました。
道路を挟んで向かいの寺で式は始まり、みんな並んで順番に中へ入りました。お焼香をする前にご遺族に一礼したらさちほさんと目が合った。とても深い悲しい目。さちほさんは話す時、必ず相手の目を真っすぐ見るんだけど、この時も大きな目で真っすぐ見つめてくれた。遺体はハワイで火葬してたので参列してても実感がなかったんだけど…私の中でどんとが亡くなったって事が現実になった瞬間だった。
全員がお焼香し終わったら和装のさちほさんが骨壺に入って白い布に包まれた小さなどんとを抱えて出てきた。空気が凍って全員が道の両端に並んで手を合わせ見送る中、どんとはさちほさんに抱えられ実家に帰っていきました。さちほさんはずっと泣いていました。
どんとのお父さんの挨拶がありました。少しおっさんになってきていたどんととそっくりでした。「あと数年遅く亡くなってたらこんなにたくさんのファンの方に参列して頂けなかったと思います。今で良かったのかもしれないと思っております」本当に素晴らしい挨拶をされ、最後に「なんで息子の顔があんなに長くなったのか不思議で…」少し笑いが起こりました。
式が終了してご遺族がみんな久富家に戻った後、参列者は向かいの寺に戻りしばらく雑談タイム。ほとんど全員喪服だけど中川敬さん&伊丹英子さんカップル(当時交際していた)だけスカジャンにデニムで浮いてた(笑)表面上は笑わなかったけど心の中で突っ込みいれた。「なんでスカジャンやねん」
境内ではしゃぐ子供が2人。どんとの長男のラキタと次男の奈良でした。奈良はまだ幼かったのでよくわかってなかったみたい。そんな弟をラキタが面倒見てました。
たくさんの人の中に喪服姿の永井君を見つけた。あんな顔の永井君、見たことなかった…立ってるのもやっとな蒼白い魂の抜けたような顔で。阪急上新庄駅で後の奥さん(解散ライブのアンコールラストの時に永井くんがいなかった原因になった人です)とよくイチャイチャしてた、どや顔が得意の永井くんと全く違った。他にもたくさんのバンドマンがいたと思うけど、みんな普段と顔が違いすぎて誰が誰かわからないし、自分も憔悴しきっていたので永井君だけかろうじて見つけたのでした。
しばらくすると友部正人さんたちがギターを弾き始めた。どんとの歌をみんなで歌おうって。「橋の下」を歌ったら、案外みんな歌詞覚えてなくて笑いながら同じとこ何回も歌った。友部さんが「どんなにギターや歌を練習して巧くなってもどんとの表現力にはかなわない、悔しかったし羨ましかったんだ…そして尊敬し大好きだった」一字一句は覚えてないけどそんなような事を言った。それから何時間もファンや音楽仲間50~60人くらいで歌って過ごしました。
私は無理を言って大阪難波の職場を抜けて来てたので4時にお寺を後にした。久富米店の近くの大垣市民病院からタクシーに乗り岐阜羽島駅まで。3000円超えるぐらいの結構な距離。今と違って在来線で帰阪するのは厳しかったので新幹線にした。運転手のおっちゃんにどんとの話をしたら「あぁ、米屋の息子かぁ知ってる」と言ったので嬉しくなった。「大垣市長から弔電が来てましたよ」と言ったら驚いていた。そのおっちゃんの喋り方がどんとソックリだったので、どんとのあの独特な舌足らずなしゃべり方は大垣弁だったんだぁって。それを知れたのは行った甲斐があったと思います。
後日、さちほさんから御会葬御礼の葉書と香典返しのタオルが届いた。戒名にあたる法名が書いた紙があった。『呑音院釈隆昌』どんといんしゃくりゅうしょう、と読みます。私のどんとコレクションにまさかこんなものが加わるなんてね。
本当はどんとの遺体を見たかったから大垣に行った。見ないといつまでも受け入れられないと思って…それは叶わなかったけど、行っておいて本当に良かった、と思ってます。
そしてさちほさんが10年かけてやっと書き上げることができた本「虹を見たかい?」に遺体の写真が載っていた。あんなに声あげて泣いたの、久しぶりでした。どんとの死に顔、めっちゃ男前だった。大好きな高いカッコイイ鼻が前ではなく上を向いていた。ラキタが本を読んだ感想をツイッターで「思い出して号泣した、母親の頭の中を見れてラッキーだ」ってつぶやいてた。ラキタのことは色々心配。日本中に私のように親戚の子供のように想う叔父叔母みたいな人がいると思うけど、どうか自分は自分の音楽で自由に泳いでいって欲しい。お父さんのひとり歩きしてしまってる色々は考えずに、どうか。
②へ続くhttps://ameblo.jp/dontomylove/entry-12241977072.html?frm_id=v.jpameblo&device_id=73f9b949b5c94da0804fcaaa3a3bc7c8


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あ~あ、叔母も、俺創作の生贄的な女性霊的な物にしようかなって思ってる、なんかお葬式に行けそうな距離だったし、生前、覚えてるし、
RT @anonymous201504: 【野党審議拒否】野党の女性議員達がセクハラ抗議の意味を込めて黒服を全員が着用~ネットの反応「ハリウッドの真似か…キモっ」「テレ朝にも黒服で抗議しにいけ!」「自分達のお葬式用の喪服ですか?」 https://t.co/y1i2mWM3uR
 2018/04/21 08:28 qchan1114
全くその通りだと思います。
野盗6倒のおばちゃん達は、同じ野盗議員のお葬式の帰りかと思ってしまいました。 https://t.co/tYRUNIKB04

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